−昨日の戦いが嘘みたいに、空気は清らかで、びっくりするくらいに静かで、何よりも平和だ。
私の想いをうまく伝えきれずに、このままで居ていいのだろうか…。
せっかくあの人が、私の想いを受け止めてくれるかもしれなかったのに…。
私は帰るために荷造りしてるけど、正直このまま帰って、後悔しないか悩んでる…。

悩んでるくらいなら、言ってしまえばいいのに。
苦しんでるくらいなら、伝えてしまえばいいのに…。
うまくいかなくても元の世界に戻ってしまえば、気まずいことは無いのに…。

でも…。

一度は突き放してしまったも同じ。
いくら昨日の今日でも、許してはもらえないんじゃないか…。
最後に脳裏に焼き付ける顔が、あの人の怒った顔なんて嫌だ。

なんで、あの時、一緒に来て欲しいって言わなかったんだろう…−

「友雅さん…。」
荷造りしている手を止め、あかねは流れる涙を拭った。
気が済むまで涙を流してから、両手で軽く頬を叩き、ふぅ、と息をついた。
「荷造りしなくちゃ。」
また、荷造りをはじめると、聞き覚えのある足音が近づいて来るのが聞こえた。
自分の後ろで止まった足音に振り向く。
「友雅さん…。」
今、たった今振り切ろうとしていた人の姿が目の前にあった。
「やあ、神子殿。」
友雅は、いつもの余裕はあるが、どことなく切なそうな、諦めた様な、そんな表情だった。
あかねの胸がチクリと痛む。
「ど…どうしたんですか。」
上半身は友雅に向いているが、気まずさから、目を合わせられず、下を向いてしまった。
友雅は、そのあかねの様子を見て、小さくため息をついた。
「神子殿の時間を、今日一日だけ私にくれないだろうか。」
「え…?」
「神子殿が帰る前の、最後の思い出として、…だめだろうか。」
「友雅さん…。」
「私が、そんなものを欲しがるなんてね…。」
友雅が、一瞬自嘲気味に笑ったように見えた。
いつに無く、弱く見えた友雅の姿を見て、あかねは決心したように立ち上がり、友雅に笑いかけた。
「分かりました、行きましょう。」



双ヶ丘、三の丘まで来た二人は、高いところに並んで座り、空を眺める。
「二人で出かけられるのが最後になると思うと、寂しいね、神子殿。」
友雅の言葉一つ一つが、あかねの心に刻まれていく。
「行く行くは、ここに庵を建てて隠居したいんでしたっけ。」
あかねは、切なさ、苦しさを一生懸命押さえつけて、笑顔を作る。
友雅には、あかねが笑顔を作ってることなんてお見通しだが、あえて、気付かない振りをした。
「そういえば、いつかそんな話をしたな…。よく覚えてたね。」
「それは…友雅さんが話してくれたことだから。」
「うれしいよ、ありがとう。」
二人はお互いを見ず、相変わらず空を眺めている。
重くのしかかる、沈黙。
友雅が、あかねを見つめた。
あかねはそれに気付いて、友雅を見る。
「なんですか?」
「昨日、私を連れて行かなかったのは、やっぱりそう言うことなのかい?」
「え…。」
「いや、やめておこう。」
友雅はそっぽを向き、あかねは何もいえなくなってしまった。

−友雅さんはやっぱり、そういう風に思っちゃったんだ…−

何を言っていいか分からず、また訪れた沈黙…あかねは、居心地悪そうに身じろぎをしたが、
ちらっと友雅をみて、気付かれないように、切ないため息をついた。
友雅は、盗み見るように、あかねの様子を見ていた。
友雅は、あぁ、そうか、と心の中でつぶやいた。そして、沈黙を破った。
「…神子殿、私がもし、神子殿に今の願いを打ち明けたら、この想いは叶うのだろうか。」
「願い…?」
「ふふっ…。」
友雅の表情に、先ほどまでの切なそうな、諦めた様な雰囲気は無くなっていた。
ましてや、ほんの少しだけ見せた自嘲の色など、微塵も無かった。
あかねは、普段と変わらない様子の友雅を見て、ためらいつつも、促すように言った。
「友雅さん、言わないと伝わらないよ。」
「確かに、その通りだね、神子殿…君を見てると、叶うような気がしてきたよ。」
「…私…ですか…?。」
友雅は、あかねを、愛しげに見つめ、話し始めた。
「私はね、神子殿、君がずっとここに居ればいいと思っている。」
「…」
「そして、私の胸へ飛び込んできて欲しいとね。」
「…」
あかねは、聞いていることしかできなかった。
「昨日、私は避けられたと思ったのだが、もしかしたら、私の思い違いだったかも知れない。」
「え…?」
「今日、神子殿の顔を見て思ったよ。私に、まだ機会は残されているんじゃないか、と。」
友雅は、お互いの距離を詰めるように手を延ばすと、あかねの頬を撫でた。
「神子殿、あとは君次第だ。」
「友雅さん…。」
「さあ、姫君、気持ちを聞かせてもらえまいか。」
「私は…。」
「神子殿、正直な気持ちを話すだけでいいんだよ、何も恐いことは無い。」
「あ…あの…。」
「どんな結果だろうと、私は受け止めるさ、もう大人だからね。」
友雅がふふっと笑った。
その笑った顔に、あかねは心臓をわしづかみにされたような感覚を覚えた。
「神子殿、もし、私の目が狂ってなければ、私は情熱を失わずに済みそうなのだが?」
あかねは、上手く話せず、どう言っていいのか、言葉を探している様だった。
「大丈夫だよ、神子殿、まだ時間はある、ゆっくり、言葉を見つけてごらん。」
「あ、は、はい。」
深呼吸をして、胸の辺りをトントン、と軽く叩く。
そして、ゆっくり、あかねは話し始めた。
「私は、私だけにしか、京を救えないんだと思…あぁ、どうしよう、上手く言えない。」
「大丈夫、ちゃんと聞いてる、ちゃんと分かっているよ。」
「私は…私は龍神の神子だから、犠牲になるなら、私だけでいいって思った。
だから、だから私は友雅さんと行きたかったけど、一緒に戦う人は他の人を選んだ。
だって、友雅さんが傷つくのを目の前で見たら、私どうにかなっちゃいそうだったから…。」
友雅は無言で頷いた。
「私は、でも、よく考えたら、友雅さんを突き放したみたいになっちゃって…
でもそんなつもりは無くて…私は友雅さんのことが…。」
涙を流しそうになりながら話すあかねの体が傾いた。友雅が、あかねを抱き寄せたのだ。
「と…友雅さん!?」
「ここから先のせりふは。」
「あ…」
「神子殿、私は、君を守り通すと誓ったんだ、だから、私が傷つこうとも、私は構わなかった。
むしろ、神子殿のために命をおとすのも一興だと思っていた。」
「でも…」
あかねの唇に、友雅が人差し指を立てる。
「私からしたら、神子殿は大事な姫君だ。確かにまだ幼さが残る少女かもしれない、
それでも私が始めて情熱を感じた女性。だから、私は身を挺して守るつもりだった。」
「最後の戦いで、私は本当に悔しい思いをしたよ。私じゃない人間が神子殿を守っているんだからね。」
「あ、あの…。」
あかねの言葉を遮るように続けた。
「でも、これからはその役目は人にゆずらなくて済みそうだ。」
友雅は、抱きしめているあかねのあごをすくって、自分を見つめさせた。
「愛しているよ、神子殿。」
「と…あ…わ…わた…」
あかねは、顔を真っ赤にして、あわてているようだった。
その表情をみた友雅は、くすっと笑い、すぐに愛しそうな目であかねを見つめた。
「…神子殿はどうして、私を虜にする様な表情しかしないんだい?」
たまらないといった様子で、友雅は、あかねが壊れないようにやわらかく、しかし力強く抱きしめた。
あかねも、それに応えるように、友雅の背中に手を回して抱きしめる。
「私も、友雅さんの事が一番好きです・・・。」
「神子殿…。」



「あら、神子様、なにかいいことでもございましたか?」
帰ってきたあかねを見て、微笑みながら藤姫が言う。
「藤姫、私、やっぱり帰るのやめる。」
「まぁ!本当ですか?」
「うん、でも、ずっと藤姫のお世話になってるのも悪いから…。」
「そんなことはございませんわ。」
「ううん、いいんだ、…ね?」
あかねは後ろを振り向いて、微笑みながら手招きをする。
今まで見たことも無いような、幸せたっぷりと言ったような顔で、友雅が入ってくる。
「やれやれ、こんなに元気な姫君と暮らしたら、毎日大変そうだね。」
あかねによばれて友雅が入ってきたことに驚く藤姫。
「友雅殿…まぁ、もしかして…。」
「藤姫、神子殿を、私に譲ってもらえないかな?」
「ですが友雅殿は…。」
「大丈夫、心配することは何も無いよ。神子殿以上に魅力ある女性が現れるとは思えないのでね。」
「友雅殿…。」
最初は怪訝そうな顔をしていた藤姫も、友雅が冗談めかした言い方をしていながら、
真面目に話しているのが伝わったのか、なんとか納得できたようだ。
「しかし、譲る、だなんて物の様な言い方は納得いきませんわ、
あと、すぐにお引渡しするわけには行きません。」
「はいはい、分かっているよ、藤姫。」
藤姫はニコニコしていたが、はっとして、あかねへ振り返る。
「それよりも…神子様は、本当に元の世界にお戻りにならなくてもよいのですか?
天真殿や詩紋殿とも、もう会えなくなってしまいますよ…?」
「うん、それは確かにちょっと寂しいけどさ…でも、この世界で生きることを選んだから。」
あかねの決意は、朝とはちがう、もう決して揺るがないものだった。



翌日。
「じゃあね、天真君、詩紋君。」
「あかねちゃん…本当に残っちゃうの?」
「うん、ごめんね、詩紋君。」
「ううん、あかねちゃんが決めたなら、仕方ないよ。」
「友雅、お前、あかねを泣かせたらただじゃ置かないぞ。」
「わかっているよ、天真は心配性だな。」
「うるせーな。…あかね、お前も、何かあったらすぐ帰ってこいよ。」
「あはは、やだなぁ、天真君、大丈夫だよ。」
泣きそうな詩紋、友雅に向かって拳を見せる天真。
二人を見送って、姿が見えなくなった後、あかねは泣いた。
「私がずっと神子殿を守り抜くから、大丈夫、安心しなさい。」
「友雅さん、絶対離さないでくださいね。」
「離すわけがないだろう、大切な、たった一人の私の姫君なんだから…。」
声を殺して、友雅の胸に顔をうずめながらしゃくりあげているあかねに、友雅はささやいた。
「愛しているよ、あかね…。」

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